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2019'6/7 ポーランドクラフク入り
二度目のポーランド旅行で、
前回気持ちが向かなかったアウシュビッツ(ポーランド名 オシフィエンチム)強制収容所見学へ。
渡されたヘッドホンを着け日本人唯一の公認ガイドの中谷剛氏の解説を、
後ろに続き聞きながら歩き始める。
[ARBTIT MACHT TREI] 映画・写真で見覚えのあるゲートを緊張しながら潜った。
外は強い陽が痛いほどの晴天。
棟の1つに入ると薄暗い。
ドキドキして胸苦しく思わず大きく息をする。
フラッシュ禁止・写真撮影はOKだったがレンズを向ける気にはなれず、
棟内の展示は自分の目に焼き付けることにした。
中谷氏は、展示された写真・遺品・設備等の説明に混じえて、
幾度か戦争を経験していない世代がこの歴史から学ぶべきで
ポーランドでは学生達への学校教育に組み込まれていると話された。
ガス室へ進む中谷氏。
2時間の第一強制収容所の見学の後、休憩。
バス移動でビルケナウ(ポーランド名プジェジンカ)第二強制収容所へ。
収容所まで延びる鉄道引込み線
広大な建物跡。戦後の再建資材として使われた。
高圧電流が流れる無数の鉄条網の光景となっている。
巨大ガス室上部爆破跡
ドイツ政府は爆破しきれなかった。
中谷氏は、生還者も高齢となり、近く話を聞くことは出来なくなる。
戦争を経験していない次世代がこの歴史から学び、
核・宗教・民族等の問題を議論し、理解し合うことが必要と、
口調は静かにではあるが強調して重く語られた。
ツアー参加者に若い人が多かったせいか、
自分の主張ではなく解説の中にメッセージが感じられ、
日本の若者達に考えろと訴えている様に聞こえた。
ガス室の地下模型や
アンネフランクの入っていた棟、
コルベ神父の餓死牢、
人体実験の展示、などを見て廻り
炎天下での1時間のツアー、計3時間のツアーを終えた。
あまりの暑さと広さに歩き疲れて、厳寒期を想像してみたが難しいものだった。
冬に来るべきか。
戦後問題を曖昧にしている我が国に対して、
ドイツ政府はきちんと戦後処理が行われていると聞いていた気がするが、
状況は、28の国に及ぶ補償問題が次々起こるだろうということを中谷氏から教えられた。
日本とアジアの補償問題とも重なって聞こえた。
壮絶な負の遺産である。
まず見るに耐えない場所ではとイメージし、来ることを躊躇した自分を恥じた。
複雑な難しい解説を深く真摯に語られた中谷氏に、
恐ろしいという甘えを吹き飛ばされた。
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2週間が経ち強烈な記憶もぼやけ始めている。
手元にある写真は外の風景のみ。
しかしレンズを通さないで自分の目で見た内部映像の数々は
幸いまだはっきり頭に浮かぶ。
アウシュビッツ見学を終えた後、ポーランド染織の地を巡り帰国。
また新たな気持ちで「夜と霧」「アンネの日記」「ハンナの鞄」を読み返す。
他の書籍もたくさんある。
この見学を忘れない為に常に考え続ける。
この狂った過ちを繰り返さないと、一人一人が自身に問い続けていかなければならない。
6/23記
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